むかしはむかしだから、綺麗なのだ
085:金色の思い出は遠すぎて、見守ることすら出来なかった
うなる音は空っぽの腹で重たく響く。背後の壁一枚の向こう側では圧倒的な熱量を生み出す機械が振動して空気まで揺れているようだ。機械の専門性からか、最低限の整備以外に人が来ることはあまりない。格好の穴場として口に出せないことをする輩が入り浸り始めている。茫洋とした卜部の思考を増長させるようにあたりはうるさく目を閉じると自分の座標さえ見失う。上下左右の感覚がなくなるというより、感覚が轟音に埋めつくされてしまう感じだ。反響音なのか直に響く音なのかの区別がつかなくなる。コウモリではないが聴覚のあるものはある程度声の反響を自己認識の手段にしている。反響してくる音を聞いて人は自分がどのくらいの位置にいるかを知る。
きゅうっとつねられて卜部が目を開ける。自分より少し低い位置に見目麗しい少年がいる。長く密な睫毛や細い眉が女性的な可愛らしさを匂わせるが骨格はすでに男性の域へ達している。手足は細く長く、胴部も驚くほど細い。華奢な体躯は彼の女性的な可愛らしさを増長させる。髪でも伸ばしたら性別を誤認しそうだ。しかも彼はそれを判っていて利用しているフシがある。紅い唇が動く。声は轟音でかき消される。普段は頭部をすっぽりと覆う仮面の機械越しにしかしない声だ。何事がしゃべっているが卜部の耳には聞こえない。卜部が聞きたくないのかも知れなかった。
「あんたァ仮面はどうしたんだよ」
だが卜部の声は彼に届くらしく、紅い唇は一瞬すぼまったがすぐに裂けるような笑みを浮かべた。ゆっくりと解るように唇が動く。ちろちろと覗く舌は篝火の紅さで燃える。
「ゼロはいるぞ」
意味が判らない。押し黙る卜部にルルーシュは明瞭に話した。轟音がルルーシュの威光に負けて薄まった。紫苑の双眸がキラキラと危険に煌めく。長い睫毛が重たげに瞬く。凝視するほどにルルーシュの造作は女性の化粧した後の顔のようだと思う。細く形の良い眉や長く密で黒い睫毛。くっきりとした二重に大きな瞳。赤い唇やくすみのない頬、肌理の細かい肌。日本人ではないのか彼の肌は少し白くて欧州の人を思い出させる。
「ゼロの仮面の意味を考えろよ。あれは明確な記号化を目的としている。ようするにな」
ルルーシュの笑みは壮絶だ。明確に美しくて恐ろしい。
「仮面と衣装があれば誰でもゼロだ」
その口は滔々と語りだす。ゼロという正体不明の仮面の男はその言葉と行動で、最下層民にまで堕ちた日本人のテロリストを明確な反抗勢力にまで押し上げた。日本がブリタニアという国に武力で征服されてからくすぶり続けた火種はこのゼロによって明確な灯火になりつつある。
「そんなことはどうでもいいだろう。集中しろ」
外された釦をルルーシュの桜色の爪先がひっかく。卜部の服はすでに釦が外されてベルトのバックルまで解かれている。何が目的かがすでに明確だ。そこが卜部には謎でならない。卜部の上司である藤堂のほうがよほど地位も高く影響力もある。精悍だが美しいと思うし、何より卜部自身が女性性とは程遠いのだ。交渉相手として選ぶ同性に自分が何故該当するのかが判らない。ルルーシュのように可愛らしくもなく、藤堂ほど影響力もない。手篭めにする理由が、ない。それでいてルルーシュはその判断に疑問を抱かないようで、卜部が抵抗する理由さえもわからないといったふうに見ている。
ひたり、と水面に添えるようにルルーシュの白い手が胸部に触れた。卜部の息が乱れた。ルルーシュの手は驚くほど冷たい。その白さと相まって蝋人形のようだと思う。麗しい顔が笑む。しかもそれは確実に性質の悪い部類だ。
「動揺しているぞ」
ルルーシュは卜部の首筋へ吸い付いてあとを残す。以前は交渉のたびに残されるそれをやめろといったが切り抜ける機転くらいきかせろと一蹴された。今のところ被害がないので何も言わなくなった。ルルーシュが食むのを好きにさせる。噛み付かれたこともあったがことさら事を荒立てる気が卜部の側にない。そもそもゼロであるルルーシュと一戦闘員である卜部では背負うものも立場も違う。ルルーシュがゼロを捨てればそれはこの団体にとって致命的であるが卜部が消えたところで痛くも痒くもないのだ。卜部はまだ藤堂についていくつもりであるし、解放戦線の面子自体が後から加わったのであるから立場が弱い。戦闘力は補えても新参者のそしりは消えない。ルルーシュがそれを放っておくとは思えないがことさら卜部たちを取り立てたりする様子もない。
誰でも、いいってこと
話が決まれば後は簡単だ。卜部は最下層民として底辺を這っているからそういう扱いには慣れている。軽んじられること。軽蔑も侮蔑も侮辱も何もかも呑み込んで生きている。征服されるとはそういうことなのだ。膝を屈するということ。頭を垂れて踏みつけにされること。
紅い唇がなにか言いたげに開いたがすぐにむっと尖った。
「なに」
卜部は気づいたから問うた。答えられる保証はないが。ルルーシュは口が裂ける笑みを浮かべてうそぶいた。悪魔的に綺麗でその高い声が響いた。
「お前、初めてじゃないな」
「馬鹿じゃねぇの。イレヴンはァ誰よりも偉くないんだよ。義務ばっかりで権利もねぇんだよ拒否なんかしたら殺されるっての」
路地裏へ出向けば判る。実力主義であったはずの界隈でさえブリタニアに甘んじて日本人を名乗るものへの凄惨な仕打ち。文字通り身ぐるみ剥がされて尻の毛までむしられて運河に棄てられる。それを政府は問題にしないし、そもそも議題にさえならない。踏みつけにしている日本人がどうなろうと彼らに問題はないのだ。
イレヴンと呼称を変えられた日本人は結局二分化された。受け入れるか、抵抗するか。受け入れればある程度の保証がある。名誉ブリタニア人となって暮らすイレヴンも少なくない。思想など簡単に潰える。腹が膨れて追い出される心配のない寝床のある暮らしは、誇りを捨てるほど魅力的だ。卜部自身はそれを否定しない。解放戦線の軍属になった卜部には闇物資とはいえ食事と寝床が与えられた。方向が違うだけだ。額ずく方向が違うだけだ。
「――だったら」
ルルーシュの目がギラついた。それは痛みを堪えて潤む瞳に似ていた。
「だったらオレにも脚を開け」
熱量が爆発するのを卜部はこらえきれなかった。素早い動きでしなる右手がルルーシュを傾がせる平手打ちを命中させた。ルルーシュの上体が刹那、浮いた。拘束の緩んだそれであったが卜部は逃げ出すより燃え上がる怒りに任せてルルーシュを睨んだ。ルルーシュが踏みこらえた。そろそろと伸ばされた指先が晴れていく頬に触れる。薔薇色のそこはすでに赤黒く腫れて変色している。
卜部は丈があるのでたいていの攻撃に高さという利点が加わって威力が増す。それを考え含めた加減をしなかったことに気づいたが詫びる気は起きなかった。卜部はルルーシュの言葉を遮りたかった。ルルーシュが言葉を切らなかったら平手だけではなく喉を潰していたかもしれない。ルルーシュはフゥッと熱い息を吐いたが落涙はしなかった。泣くのを堪えるどころか卜部を明確に睨めつける。
「いい度胸だ。今日の交渉でまともななりで帰れると思うなよ。しばらく灸をすえる必要がありそうだな」
怜悧な双眸は明確に怒り狂っていた。紫水晶の奥でたぎる怒りが見えるようだ。ルルーシュの手が卜部の脚の間を握る。すぐに卜部は濡れた息を吐いてルルーシュはそれを促進させる動きをする。卜部の脳裏が確実に白く塗りつぶされていく。ルルーシュの肩を抑えても止まらない。指先は優しく甘く卜部の熱を上げていく。イレヴンである卜部は優しくされた経験が少ない。最下層民との交渉に気遣いなどない。一方的に組み伏せられて突っ込まれて相手の気がすむと終わる。卜部の側の事情など絶対に考慮されないし、必要視もされていない。
「…――ッ、ぁ、ああ、あぁ…」
すぐに下肢が熱く燃える。ルルーシュの指は優しい。痒い所に手が届く。卜部はぞくぞくと腰を震わせて余りある快楽に耐えた。
終わりは突然、訪れる。
「…ルルーシュ、くん…?」
息が止まったような気がした。玲瓏としたその声は。卜部が生涯で唯一この人になら額ずいても良いと決めた、人。ルルーシュはゆっくりと振り向くとその赤い唇で残酷に名前を紡ぐ。
「あぁ、遅かったな、藤堂」
ルルーシュは這わせた手を止めない。声を堪えるだけで精一杯だった。卜部は唇を噛んでうつむいた。顔を見せることさえ恥じたい。しかも交渉の場に藤堂が同席するなどありえない。ルルーシュの方は卜部の側の事情など顧みない。にっこりと人好きのする笑みを浮かべながら卜部の体に暴挙を働く。
「お前にもオレの猫を紹介しておきたかったんだ」
びりびりとしみる敵意が卜部の脳髄を犯した。ルルーシュは卜部が藤堂を特別視していることを知っている。藤堂は動かない。思慮の深い藤堂はこの自体が後々どう作用するか考えを巡らせているに違いなかった。卜部の立場が、どうなるかを。
「可愛いだろ? 卜部巧雪という日本人でも稀な日本的な名前だ。そこも気に入っている。オレは雪は嫌いじゃない。冬生まれかどうかはこれから訊こうと思っているんだが…あぁ」
残酷で美しい、笑み。ルルーシュは明確な侮蔑と勝利者の愉悦の笑みで藤堂に微笑んだ。ルルーシュは藤堂がどう出るかさえ先読みしている。卜部がどうするか、さえも。
「お前の部下、だったな」
「…ルルーシュくんで、間違い、ないのか」
「そうだよ。枢木スザクと仲の良かったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだよ。公的には死んでいるオレの存在など騒ぎ立てたところで武力鎮圧の理由にしかならないから短慮を起こすなよ」
ぐじゅ、と爛熟した果肉の弾ける音がした。ルルーシュの指先はすでに卜部の裏の門を犯している。話している間にさえ施される処置と愛撫に卜部の体はすでに支配権を譲渡しつつある。ふーふーと獣のように荒い呼気を繰り返す卜部だけが蚊帳の外だ。
「卜部は可愛いな。お前が飼うだけのことはある。戦闘力もあるし閨も良し。組み伏せられるのが嫌なくせに物分かりよく堪えて耐えるのは称賛に値するよ。耐えて震えているのを見ているのも可愛い。愛でられる」
ルルーシュの指先がぐじゅっと蜜にまみれた抜き身の先端をえぐった。
「ァあぁああっ」
がくがくと笑う膝を堪えて立っている卜部は背後の壁にさえすがる。座り込んでしまいそうだった。卜部の脳裏がみるみるうちに白く塗りつぶされていく。藤堂の存在もルルーシュの真意さえもどうでも良くなる。上がっていく体の熱をどうにかして欲しい欲望がせり上がる。同時に藤堂の存在が卜部の羞恥心を燃え上がらせる。わきまえのある行動を取ろうとあがくほど卜部は泥濘に嵌っていくような気がした。どろどろとした足元はみるみる沈んで踝を飲み込み、すぐに脚を引きぬくことさえ難儀になる。
卜部の声が裏返る。それでも二人は動かない。藤堂は釘でも打たれたように微動だにしない。ルルーシュはそれを見て笑んでいる。その笑みを卜部に向ける。腫れ上がる頬が卜部を逃がさない。ルルーシュに加えた一撃がなければ口を拭えたのかもしれないと思うほどに体が灼ける気がした。
「…それで」
藤堂の声が静かだ。卜部は消え去りたい恥と未だに燃え上がる体への侮蔑を覚えた。ルルーシュはふんと鼻を鳴らしたがこたえたふうでもない。卜部の体を好き勝手にしながら藤堂に背を向ける。
「そこで見ていろ。オレがお前のものを奪うのを」
卜部がめちゃくちゃに抵抗した。腫れた頬を引っ掻き肩に爪を立てる。ルルーシュは痛いとさえ言わずに指先で卜部の体を踊らせた。ルルーシュの靴底が卜部のズボンを下着ごと膝まで下げた。卜部が隠すべき場所には一本の糸さえない。しかもそれがあますところなく藤堂に知れているということが卜部の気を荒れさせた。指先が黒絹の髪を引っ張るとルルーシュが牙をむく。
「調子に乗るなよ。お前を喘がせて後々まで縛ることさえ造作も無い」
「――っぅ、あ…」
がくがく笑う膝がついに砕けた。座り込む卜部にルルーシュは覆いかぶさる。手際よく衣服を脱がせると卜部の骨ばった脛が顕になる。ルルーシュはニヤニヤ笑いながら筋をたどるように撫で上げる。
「顔が怖いぞ、藤堂」
藤堂の顔が見れない。羞恥なのか罪悪感なのかがすでに曖昧だ。卜部は潤んだ目を下へ向ける。そこに歴然とあるのはルルーシュの手管に屈した自分の体だ。渇いた唇を噛み締める。血の味がした。涙さえない。燃えるように紅くなっていく顔を感じながら耳が千切れそうだと思う。
もうすでにルルーシュと藤堂が知己であるらしいことさえ問い詰めるのは無為だ。そうであってもなくても卜部の醜態を回復するのは難しい。それであれば卜部は何も知らない方がいい。それが藤堂にとって不利益になるかもしれないから。卜部の意識はそこまで後退した。守るべき自我をとうに捨てた身であれば見切りも早い。護るべきは藤堂であって卜部ではないのだ。果実の潰れる音をさせてルルーシュの指先は卜部の体を犯す。なかなかいい具合じゃないか。うごめく指先の動きすら追えない卜部にルルーシュは慰めるような優しさで話しかける。お前の体はいいな、好きだよ。馬鹿で淫乱だ。ルルーシュの名前にブリタニアが冠していた。日本をイレヴンにしたのは神聖ブリタニア帝国だ。力づくで支配権を押し広げてきた名残のように反抗勢力からはブリキ野郎と蔑まれる。ルルーシュがどうブリタニアとかかわるかは判らないがブリタニアの関係者であることは間違いなさそうだ。だが、と思う。それを知ったところで卜部にできることはない。ルルーシュが先ほど言った言葉通りに、藤堂がルルーシュの存在を容認した事自体がその事実だ。ルルーシュの存在ではブリタニアを慌てさせることさえできないのだろう。相手にこちらを潰すきっかけを与えるだけなのだ。無為。卜部ができることは本当に、何もない、のだ。
「いいぜ」
「卜部!」
藤堂の声が鋭い。卜部の考えを見抜いている。ルルーシュは黙って続きを促す。卜部は嘲るように自分を見下ろして笑った。いらない。俺なんか、要らない。
「俺の貞操なんか糞の役にも立たねぇけどそれでいいなら犯せよ、好きにしろ。代わりに」
卜部の茶水晶が煌めいた。叩き潰されるだけだった過去が見える。食事はおろか寝床にさえ窮する日々。蹴りだされない寝床を見つけ出すのは骨が折れるのだ。
「中佐に手は出すな。なにもさせない。中佐は、何も、知らない」
藤堂の口が動く。うらべ。声が聞こえない。機械室の轟音が突然耳に響いた。藤堂の声がしない。俺はあんたの声が結構好きだった。ルルーシュは笑んだ。赤い唇で、妖艶に。商売女のようにすれて、それでいながら生娘のように卜部の出した条件を信じて飲もうとしている。
「ならば、今、この瞬間からだ。卜部、お前の拒否の言葉は認めない。躊躇も同様だ。わかったな? 躊躇も拒否も、認めない…お前は、嫌だということさえ認められないということだ」
「お前が思うほど俺は綺麗にできてねぇからな。好きにしろ。ただし、どんなものでもその約束は違えることは赦さねぇ」
ルルーシュは愉悦の笑みを浮かべた。上等だ。お前の裡、見せてもらおう。ルルーシュの指先が引き抜かれる。次に何があるかは判っている。藤堂は顔を歪めて背を向ける。その背中にルルーシュは言葉を投げた。
「藤堂、お前はいい部下を持ったな?」
卜部は目を眇めた。
見えるのは。
砕け散る過去の破片と
それを拾おうともせずに見ているだけの
自分
「あぁ、最高だ! 楽しくて楽しくてたまらないよ!」
ルルーシュの高い声が悦楽に揺らいで轟音に消えた。
《了》